フリーアナウンサーとなり、ドラマやCM、執筆など幅広い活躍をみせるアヤパンこと高島彩(たかしまあや)アナ。
現在は二児の母となり、子育てにも奮闘中です。
今回は、高島彩アナの父は元俳優で死因は何?実家の家族や母親、兄弟も調査!
という事で、高島彩アナを育て、支えた実家の家族について紹介します。
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高島彩アナの父親は元俳優?
高島彩アナの父親は、竜崎勝(りゅうさき かつ)さん、俳優です。
しかし、竜崎勝さんは高島彩アナが5歳の時、44歳という若さで死去されています。
1940年生まれ、高知県出身、出身大学は法政大学、本名は高島史旭(たかしまふみあき)さん。
目鼻立ちのはっきりした、二枚目。
筋肉質で声も渋く、凄く存在感のある役者さんですね。
高島彩アナの父親竜崎勝の経歴や同期は?
竜崎勝さんが俳優になったのは、大学4年在学中「日活ニューフェイス(第5期)」に合格したことがきっかけです。
上の段の右から2番目が竜崎勝さんです。
同期は、高橋英樹さんや中尾彬さんなど、大物俳優が揃っています。
その後は劇団俳優座付属養成所を経て、文学座に研究生(第15期)として入所しましたが、劇団員にはなれないまま退所することに。
文学座の同期は、後に「花の15期生」と呼ばれるほどのそうそうたる顔ぶれで、みな一流俳優になり大活躍です。
同期の中でも特に仲の良かった7人で「どぅりーみぃ7」という会社を設立します。
メンバーは、竜崎勝さん・小野武彦さん・村井国夫さん・地井武男さん・夏八木勲さん・前田吟さん・高橋長英さん。
竜崎勝さんは、リーダーシップがあり、存在感がすごく大きかったそうです。
毎日が充実し、いろいろな刺激をもらい合えたたのでしょうね。
高島彩アナの父親竜崎勝の出演作品は?
竜崎勝さんは、時代劇や大河ドラマに数多く出演し、テレビドラマ、昼ドラなどでも二枚目役から極悪人まで幅広い役柄を演じています。
NHK大河ドラマでは合計8作品に出演し、中でも「花神」では近藤勇、「徳川家康」では丹羽長秀など、重要な人物を演じています。
迫力があって、渋すぎますね。
「鬼平犯科帳」「大江戸捜査網」「子連れ狼」名立たる時代劇に出演数多く出演。
ちょんまげ姿がかなり似合っていますね。
少し異色な、ウルトラマンタロウにも出演しています。
雰囲気や顔つきが役により全然違いますね。
忘れていけないのが、俳優だけでなく、2代目「食いしん坊!万才」のリポーターを務めています。
1977年7月~1978年12月までの計390回を務めています。
そして、テレビドラマ「転校少女Y」の撮影後に容態が急変し、1984年12月18日午前1時に亡くなられました。
その日放送があった「転校少女Y」の番組では、追悼のテロップが流れています。
高島彩アナの父親の死因は何?
高島彩アナの父親の死因は、肝硬変です。
1970年代後半に胃潰瘍を発症し、一時は回復するも1984年11月から体調不良となり、病院に通いながら撮影を続けていたようです。
高島彩アナの父親竜崎勝が患った肝硬変とは?
肝硬変とはどのような病気か調べてみたところ、
肝硬変とは、B型・C型肝炎ウイルス感染、多量・長期の飲酒、過栄養、自己免疫などにより起こる慢性肝炎や肝障害が徐々に進行して肝臓が硬くなった状態をいいます。
慢性肝炎が起こると肝細胞が壊れ、壊れた部分を補うように線維質が蓄積して肝臓のなかに壁ができていきます。
肝細胞は壁のなかで再生して増えるため、最終的に壁に囲まれた結節を作ります。
肝臓がこのようなたくさんの結節の集まりに変化したものが肝硬変です。
引用:日本消火器病学会ガイドライン
症状が酷くなると、様々な合併症がおこり治療が困難となって、最終的には肝不全となり死に至る場合があるようです。
竜崎勝さんが飲酒をどれだけしてかは定かではありませんが、血液検査で肝臓の数値がわかるため、定期的な健康診断で早めの治療がやはり重要なようです。
高島彩アナは父親竜崎勝の記憶はある?
高島彩アナは、父親が5歳の時亡くなったため、父親の記憶はほとんどないそうです。
「食いしん坊!万才」が2015年に40周年を迎えた時、スペシャル番組の司会として高島彩アナが出演しています。
サプライズ企画として、父親の名場面画集が流れ、実際に食べた料理を再現すると、高島彩アナは感極まる場面もあったようです。
高島彩アナが2001年にフジテレビに入社し、3年後に入社してきた高橋英樹さんの娘である高橋真麻アナとも、不思議な縁を感じます。
高島彩アナは、高橋真麻アナが最初なじめずいたところ、とても気にかけていてくれたそうです。
2008年11月に放送された「ボクらの時代」では、竜崎勝さんの同期で「どぅりーみぃ7」のメンバーだった、地井武男さん・小野武彦さん・村井国夫さんが対談した時に村井国夫さんは、高島彩アナとはじめて会った際、涙が出たと語っています。
竜崎勝さんが亡くなっても、残した子、残した気持ちや意思で、繋がっているのですね。
高島彩アナは、今でも月命日にはお墓参りを欠かさないそうです。
父親の話は母親の他にも、父親の仲間や関わってきた人達から話を聞くことができます。
それは、高島彩アナがアナウンサーとなり、たくさん人脈を広げてきたからこそでしょう。
高島彩アナの母や兄弟も調査!
高島彩アナの実家の家族構成は、亡くなった父親、母親、兄、高島彩アナの4人家族です。
高島彩アナの母や兄について調査してみました。
高島彩アナの母は教祖様?
高島彩アナの母は、高島洋子さんといい、一般の方で、昔は演劇をしていたようです。
高島彩アナ母で検索すると、教祖様というワードがでてきます。
しかしそれは、義理の母である北川悠仁さんのお母さんのことで、高島彩アナの実母高島洋子さんのことではありません。
義母である北川慈敬さんは、宗教法人「かむながらのみち」の教主として知られています。
実母の洋子さんは、普段は優しいのですが、身だしなみにはとても厳しいとのこと。
高島彩アナがアナウンサーになった当初は、姿勢や立ち方などもとても厳しく指導されていたそうです。
また、メイクもあまり気にしていなかった高島彩アナに、見る人に対しても気を使い、きれいしておくように諭しています。
それからは身だしなみやメイクにも気を使うようになり、高島彩アナは母の教えに感謝して努力を重ねたようです。
そうした気遣いや躾は、女手一つで育ててくれたお母さんにずっと教わってきたんですね。
高島彩アナの兄は俳優?
高島彩アナの兄、高島郷さんは元俳優です。
1974年生まれで高島彩アナとは5つ違いです。
兄高島郷さんは、高島彩アナと同じく、成蹊中学校・高校を卒業して、成蹊大学法学部に進学します。
大学は中退し、俳優活動をはじめましたが、2003年に引退しています。
高島彩アナとは共演することなく引退したのは、少し残念ですね。
引退後は会社員になり、現在は眼鏡店Zoftを展開する、株式会社インターメスティックのクリエイティブデザイン室・プロデューサーになっています。
仕事できる感が半端ないです。
高島彩アナとは今でも仲が良く、食事をしたり、ゴルフに行ったりするようです。
現在は兄も高島彩アナも子供がいて、北川悠仁さんも含め、家族ぐるみの付き合いをされているようですね。
本当に仲の良い家族であることが伺えます。
こうして、高島彩アナの父親と母親が繋いだ命がつながっていくのですね。
高島彩アナの父親も成長した子供たちを見て、遠くで安心して見ていることでしょう。
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まとめ
今回は、高島彩アナの父は元俳優で死因は何?実家の家族や母親、兄弟も調査!
という事で調べました。
- 高島彩アナの父親は俳優で龍崎勝さん
- 高島彩アナの父親はすでに亡くなっており、死因は肝硬変だった
- 高島彩アナの母は高島洋子さんという一般人
- 高島彩アナの兄は元俳優高島郷さんで現在は会社員
5歳の頃に父親を亡くした高島彩アナは、成長を重ね、2児の母となりました。
父親や母親の意思を継ぎ、これからもいろいろな場所で活躍してくれることでしょう。