2月11日放送の『はじめまして!一番遠い親戚さん』の
予告での千葉雄大さんの遠い親戚だという
「ピカソと交流を重ねた日本人画家」
一体誰なのか気になりませんか?
という事でこの方について調べてみました!
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千葉雄大の遠い親戚、藤田嗣治

千葉雄大の親戚だと思われる
ピカソとも交流があった日本人画家とは
藤田嗣治さんです。
生まれは日本ですが第1次世界大戦前より
フランスのパリで活動されていたそうです。
猫と女性を描く事を得意とし、日本画の技法を
油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」
と呼ばれた裸婦像などで西洋画壇でも絶賛を浴びた
エコール・ド・パリの代表的な画家。
フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタ引用記事https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田嗣治
藤田嗣治のプロフィール

藤田 嗣治(ふじた つぐはる)
フランス名:レオナール・ツグハル・フジタ
生年月日:1886年11月27日
死没月日:1968年1月29日(享年81歳)
国籍:日本/フランス(1955年に帰化)
出身地:東京都
卒業校:東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科卒
1913年にフランスに移住し、ピカソらと進行を持った。
40年に帰国するが、54年に再びフランスに戻りそのまま帰化。
スイス、チューリヒでがんのため死去。。
ピカソとの関係、交流
1913年の夏、画家志望だった藤田は
単身フランスへ渡ります。
パリに着き画家としての活動を始めた藤田は
すぐに芸術家として注目されるように。
パリのモンパルナスに居を構えた藤田
当時のモンパルナスは家賃の安さから特に画家が
多く暮らしており、隣の部屋にはあのモディリアーニや
シャイム・スーティンらと知り合ったそうです。
モディリアーニと藤田は後に親友と呼ぶ関係になったとか。

出典:https://artmuseum.jpn.org/
調べれば調べるほど凄い人だということがわかりますね。
あの時代に単身でパリに渡る
というのも凄いですが、
あっという間に認められてしまう
というのも才能の為せる技でしょうね。
そしてモディリアーニ質を通じ知り合ったのがかの
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・
ファン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・
サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ!
だったそうです。

出典:https://estudy.7match.biz/
藤田嗣治の自伝でフランスに渡って2日後に
ピカソのアトリエへ訪れたという記述が
ありますが、これは自伝の脚色で
実際にはピカソにあったのは数ヶ月後だったそう。
その後もピカソらエコール・ド・パリの
画家たちとの交流は続き
藤田の技法である『乳白色の肌』には
ピカソも注目していたそうですよ。
あの、ピカソに注目されるなんて凄い!
とミーハー日本人としては思ってしまうんですが(笑)
実際に藤田嗣治さんはフランスではその名前を
知らない人はいないくらいの画家みたいです。
こういう機会でも無ければ藤田さんの存在を
知ることは無かったと思うと感慨深い…
藤田嗣治の作品
ここまで紹介して、ピカソにも注目されたという
藤田嗣治さんの作品が気になってきたのでは?
という事で藤田さんの作品を紹介していきます!

こちらが藤田の画家としての名声を
確立した1928年発表の《寝室の裸婦キキ》
画像では「乳白色の肌」がイマイチ伝わらない…

1935年発表の《鏡と少女》
こちらの画像の方がわかりやすいのかも
化粧をする女性の仕草や表情の柔らかさが
とか語るのはおこがましいので凄い!と
だけ言っておきます。

第2次世界大戦中、戦争記録画制作のため
戦地に派遣されていた藤田。上記の2作品と
同じ作者とは思えないほどの壮絶なリアリズム描写
終戦後は戦争責任の追求から逃れるために
自分の戦争画や関係資料を焼いたそうです。
まとめ
今回は千葉雄大の親戚の画家、藤田嗣治(つぐはる)の
作品やピカソとの関係、交流は?という事で
記事を書かせていただきました。
まとめると
・千葉雄大さんの親戚の画家は藤田嗣治さん!
・藤田さんは1913年に画家を目指して単身フランスへ渡った!
・藤田さんはピカソやモディリアーニとも交流がある!
・藤田さんはエコール・ド・パリを代表する画家!
ですね。
読んで頂きありがとうございました。