小林エリカとは

プロフィール
生年月日:1978年1月24日
出身:東京都
東京大学大学院学際情報学府修士課程修了
小林エリカのおすすめ漫画、小説作品
親愛なるキティーたちへ
アンネ・フランク、私の父、私。
時を超え、響きあう 三冊の日記とその日付 ――。異なる時間、異なる場所、それぞれの人生の中で書かれた三冊の日記。
戦中・戦後の状況で綴られた「アンネ」と「父」の日記には、
それでも未来への希望を失わない若者の姿がありました。
小林エリカは旅の途中、幾度も日記を読み返し、立ち止り、考えます。
圧倒的な力や数の前でも、そこにひとりひとりが生きていること、
そしてひとりのささやかな営みが続いていくことの尊さについて。
2冊の日記を手掛かりに、命の感触に肉迫した著者渾身作。
マダム・キュリーと朝食を
どうして、目に見えないもののことは、みんなこんなにも簡単に忘れてしまうんだろう。
「東の都市」へと流れて来た猫と、震災の年に生まれた少女・雛(ひな)。
目に見えないはずの“放射能”を、猫は「光」として見、少女の祖母は「声」として聞く――。
キュリー夫人やエジソンなど、実際のエネルギー史を織り交ぜながら時空を自在に行き来し、
見えないものの存在を問いかける。卓越した想像力が光る、著者初の長編小説。芥川賞候補にも選出された渾身作。
光の子ども
いまから115年前、科学者マリ・キュリーによって名づけられた“放射能”。
マリが「わが子」と呼んだ、幻想的な青白い光を放つ新元素ラジウムは、本当に人類の希望だったのか?
マンハッタン・プロジェクト、広島・長崎、スリーマイル、チェルノブイリ、そして…。2011年の日本に生まれた主人公“光”と、猫の“エルヴィン”を通じて、
“放射能”の歴史がひもとかれていく。史実とフィクションを交えた物語。
センシティブかつ強烈な意欲作。
小林エリカさんの両親
小林司さん
東大出身の医学博士、精神科医、作家、翻訳家
日本シャーロック・ホームズ・クラブをを立ち上げた人物でもあり、もちろん本人も敬虔なシャーロキアン。
日本エスペラント学会の顧問も務めており、その影響なのか小林エリカさんもエスペランティストです。
小林洋子さん(東山あかね)
翻訳家、作家
司さんと共に日本シャーロック・ホームズ・クラブの立ち上げ、翻訳家として司さんと共に数多くのホームズ作品を翻訳したそうです。
当然洋子さんもシャーロキアン。
不思議なのが小林エリカさんがシャーロキアンという情報が無いこと。
ご両親がこれほどのホームズフリークならばその影響を受けそうなものなので、少し不思議に感じてしまいますね。
小林エリカさんを語る上で欠かせないのがご両親の存在、特に父である司さんは現在まで小林さんの漫画家、作家としての活動に多大な影響を与えているようですね。
エリカとアンネと司
10歳の頃にアンネ・フランクの「アンネの日記」読んだことが小説家を目指すようになったきっかけだという小林さん。
10年前に実家で見つけた司さんの日記を読み、その時初めて偶然にもアンネと父、小林司さんの生まれ年が同じだった事に気づいた時、自分にとっては13歳の少女だったアンネが、もし生きていたら父と同じ年齢の女性なんだと意識した時、小林さん自身も驚くほどの衝撃を受けたそうです。
そしてその衝撃による衝動に導かれるように父司さんの日記、アンネの日記、そしてまっさらな小林エリカさん自身の日記だけを手に持ち、アンネの生涯をたどる度に出た小林さん。
その旅を元に書き上げたのが小林エリカさんの代表作とも言える「親愛なるキティーたちへ」
本当は父に見せたいと思ってかきあげたという親愛なるキティーたちへ。
しかし完成する前に司さんはなくなってしまい…
今でも司さんの日記をたまに開いてみるという小林エリカさん。
この世に生きている人達、その全ての人誰にでも起きる出来事、そんな誰にも気にされずどこにも書き留められずに消えていってしまう誰かの日常。
それを捕まえ紙の上で表現することは出来ないだろうか?あったかもしれない消えていってしまった誰かの人生、それをなにかに留めておきたい、その気持が小林エリカさんの作品を書く動機になっているそうです。
その思いを支えてきたのはアンネの言葉
「『アンネの日記』の中で彼女は、『わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!』だと書いていて、それが衝撃というか、ものすごく感動したんです。アンネの日記を読んで私が作家になることを夢見たように、世界中にそんな人がたくさんいると思うんです。彼女の言葉に影響を受けた人が今もどこかに生きている。アンネの望みは、叶(かな)っているんだ、って思いました」
参考記事:https://www.asahi.com/and_w/20190430/501904/
筆者の敬愛するミュージシャンも言っていました。
「この曲は少なくとも俺よりも長生きするだろう」
「俺が明日野垂れ死んでも、その10年後、20年後、100年後、どこかの家のスピーカーから俺の曲が流れる事があれば、それだけで俺は誰よりも幸せな人生だったと断言できる」
作品を残すことで死んでからも生き続けることが出来る。
ものを創造する人すべての共通の思いなのかも、というか、そういう気持ちで作品を作る人には必然的に評価が集まるのかな、とか色々な事を考えさせられますね。